死についてのストア派の名言
ストア派は死について、ほかのどの主題よりも多く書きました。陰鬱だったからではありません。彼らは実際的なことに気づいていた — 自分の生が終わると本当に受け入れた人は、今日の振る舞いが変わる。先延ばしが減り、赦すのが早くなり、脅されにくくなる。マルクス・アウレリウスは、皇帝も医者も哲学者も同じように死んだと自分に言い聞かせました。セネカは、人は最後に突然死ぬのではなく、ずっと死につつあるのだと書きました。エピクテトスは、我が子に口づけるとき、この子は死ぬものだと思い出せと弟子に説きました。ゆっくり読んでください。落ち込ませるためではなく、まだ残っている時間に注意を戻すための言葉です。
24の言葉 — マルクス・アウレリウス, セネカ, エピクテトス
この世を去ること、もし神々がいるなら恐れるに足らぬ。神々はお前を悪に巻き込みはせぬ。神々が在らぬか、人事を顧みぬとしても、神も摂理もない世に生きることが、私に何だというのか。
マルクス・アウレリウス · 自省録 II.11
われわれは長い船旅を、先延ばしにした帰郷を、戦の遠征を、官職の遅い昇りをもくろむ。その間、死は静かに傍らに立っている。死は隣人だけに降りかかるものと思いなすため、日々の喪失はほとんど気づかれぬまま、われわれを取り巻く。
セネカ · 書簡 CI.1 (ON THE FUTILITY OF PLANNING AHEAD )
私にできる唯一のことをする。恐れに溺れず、叫ばず、神を責めず。生じたものは滅びねばならぬ。私はひとりの人間、全体の一部、日のうちの一刻のように。
エピクテトス · 語録 17.2
死をそれ自体として見よ。想像が付け足す像をはぎ取れ。それは自然の働きにほかならぬとわかる。自然の働きを恐れるのは、子どもじみている。
マルクス・アウレリウス · 自省録 II.12
まさに終わりに来たかのように、心を整えよ。何も先延ばしにするな。日々、生の帳尻を合わせよ。生の最大の欠陥は、それがつねに不完全で、その一部がつねに先延ばしにされることにある。
セネカ · 書簡 CI.1 (ON THE FUTILITY OF PLANNING AHEAD E)
子や、兄弟や、友に口づけるとき、その情に身をまかせきるな。喜びを思うまま走らせるな。抑え、手綱を取れ。凱旋の人の背後に立ち、お前は死すべき身だと告げる者たちのように。
エピクテトス · 語録 46.4
二つを心に留めよ。万物は永遠の昔から同じ形でくり返す。百年見ても新しきものはない。そして最も長く生きる者も、最も早く死ぬ者も、失うものはちょうど同じである。
マルクス・アウレリウス · 自省録 II.14
この生への渇望を捨てよ。君の苦しみがいつ来るかは、ほとんど問題ではない。いつかは必ず苦しまねばならぬのだから。肝心なのは、生の長さではなく、その気高さなのだ。
セネカ · 書簡 CI.1 (ON THE FUTILITY OF PLANNING AHEAD E)
死がこれらに励む私を不意に襲うなら、神にこう言えれば十分だ。あなたの統治に従うため、あなたから受けた手立てを、私はおろそかにしなかったと。
エピクテトス · 語録 56.2
身体に属するすべては流れ。魂に属するすべては夢と蒸気。生は戦であり、旅人の宿り。名声のあとには忘却。何が人を導きうるか。ただ一つ、哲学だけが。
マルクス・アウレリウス · 自省録 II.17
日ごと、時ごとに、われわれがいかに小さきものかが露わとなり、おのれの脆さを忘れていたことを、新たな証しが思い知らせる。幾代も先をもくろむわれわれに、その時は背後を振り返らせる。そこには死が待っている。
セネカ · 書簡 CI.1 (ON THE FUTILITY OF PLANNING AHEAD E)
私とは何であれ、わずかな肉と息と、支配する心。書物を投げ捨てよ。気をそらすのをやめよ。いま死ぬかのように肉を侮れ。それは血と骨、神経と血管の織りなしにすぎぬ。
マルクス・アウレリウス · 自省録 II.2
万物の終わりとして君が恐れるまさにその日は、君の永遠の夜明けだ。なぜためらうのか。重荷を下ろせ。君はかつて一度、この肉という隠れ家を後にしたではないか。
セネカ · 書簡 CII.1 (ON THE INTIMATIONS OF OUR IMMORTALITY )
約束を破り、自尊を失い、憎み、疑い、呪い、偽善を演じさせるものを、決して益あるものと評価するな。己の知性と内なる神を何より重んじる者は、孤独も群衆も必要としない。
マルクス・アウレリウス · 自省録 III.7
ときには、大きな苦痛を払ってでも、命の息を引き戻し、唇の縁に留めねばならぬ。われわれを頼みとする愛する者たちのために。善き人は、生きたいと思うだけ生きるのではなく、義務に縛られるだけ生きるのだ。
セネカ · 書簡 CIV.1 (ON CARE OF HEALTH AND PEACE OF MIND )
思え、幾多の医者が病人に眉をひそめたあげく死に、幾多の哲学者が死を語り尽くしたあげく死に、幾多の英雄が千を殺したあげく死に、幾多の暴君が不死であるかのごとく権を振るったあげく死んだことか。
マルクス・アウレリウス · 自省録 IV.48
節度を保つには、この世の生は短くはかないと、たえず思い返すことに勝る助けはない。何をしていようとも、死の思いを目の前に置いておけ。
セネカ · 書簡 CXIV.1 (ON STYLE AS A MIRROR OF CHARACTER Y)
死は誕生と同じたぐいのもの。自然の神秘であり、ある元素からの組成と、それへの分解である。誰も恥じるべきことではない。
マルクス・アウレリウス · 自省録 IV.5
おまえの同意なくして、いつか死ぬことが定められたのと同じく、いつ死を選びうるかは、おまえ自身の手のうちにある。前者は必然、後者は特権である。
セネカ · 書簡 CXVII.1 (ON REAL ETHICS AS SUPERIOR TO SYLLOGISTI)
やがて、ほどなく、君は灰となり、骨となるだろう。そして名が残るか、名すら残らぬかのいずれかだ。名とはただ音と響きにすぎない。人生で最も尊ばれるものは、空しく、朽ち、取るに足らぬものだ。
マルクス・アウレリウス · 自省録 V.33
心が最も神々しさを示すのは、おのれの死を見つめるときだ。人の務めはその生を全うすることにあり、肉体は定まった住まいではなく宿にすぎぬと悟るとき。主人が飽きたなら、後にして去るべき宿に。
セネカ · 書簡 CXX.1 (MORE ABOUT VIRTUE Y our letter roam)
道徳的な品性の完成とは、こういうことにある。毎日を最後の日であるかのように過ごし、激しく心を乱されず、鈍ることなく、偽善を演じぬことに。
マルクス・アウレリウス · 自省録 VII.69
私が未来と呼ぶものは、いまこの瞬間に起こっており、その多くはすでに過ぎ去った。それはわれらの過ぎし日々から成る。最後の日のみを恐れるのは誤りだ。過ごした日は、ことごとく死へ支払われる。
セネカ · 書簡 CXX.1 (MORE ABOUT VIRTUE Y our letter roam)
君が行うときはいつも問え。これは私にとってどうなのか。私はこれを悔いるか、と。ほどなく私は死に、すべては消え去るのだ。
マルクス・アウレリウス · 自省録 VIII.2
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