欲望・富・足るを知ることについてのストア派の名言
ストア派は金銭に反対したのではありません。セネカ自身が莫大な富を持っていました。彼らが反対したのは、もっと手に入れればいつか欲しがる気持ちが静まる、という信念です。彼らの観察はこうです — 欲望は自分を更新する。あまりに少ない人と、もっと欲しい人は同じ状態にあり、富で解決するのは片方だけだ。かわりに彼らが勧めるのは、自分で意図して決めた停止点と、簡単には奪われない簡素なものを味わう感覚です。目標が動くのをやめたとき、生活がどれだけ軽くなるかについての言葉です。
22の言葉 — マルクス・アウレリウス, セネカ, エピクテトス
私とは何であれ、わずかな肉と息と、支配する心。書物を投げ捨てよ。気をそらすのをやめよ。いま死ぬかのように肉を侮れ。それは血と骨、神経と血管の織りなしにすぎぬ。
マルクス・アウレリウス · 自省録 II.2
君に喜びをもたらすものはみな、花咲く草とみなせ。葉のあるうちにそれを摘め。草はそれぞれに散りどきがあり、すべては時が来れば散るのだから。
セネカ · 書簡 CIV.1 (ON CARE OF HEALTH AND PEACE OF MIND )
哲学の始まりは、必要なことについての己の弱さを自覚することである。我らは幾何や音楽の観念を生まれつき持ってはいない。技によってそれを学ぶのであり、知らぬ者は知っているとは言わぬ。
エピクテトス · 語録 22.1
正義、真理、節制、勇気にまさるもの、理が可能にすることに己の心が満ち足りる以上のものを見いだしたら、魂のかぎりそれへ向かえ。
マルクス・アウレリウス · 自省録 III.6
黄金も銀も、豪奢に飾った家々を重くするほかのすべても、投げ捨てよ。自由はただでは買えぬ。もし君が自由を高く値踏みするなら、ほかのすべては低く値踏みせねばならぬ。
セネカ · 書簡 CIV.1 (ON CARE OF HEALTH AND PEACE OF MIND )
己のものを保て。他人のものを己のものと主張するな。与えられたものを用いよ。何かが奪われたら、こだわりなく手放し、用いえた間のことを感謝せよ。
エピクテトス · 語録 26.3
約束を破り、自尊を失い、憎み、疑い、呪い、偽善を演じさせるものを、決して益あるものと評価するな。己の知性と内なる神を何より重んじる者は、孤独も群衆も必要としない。
マルクス・アウレリウス · 自省録 III.7
知は手当たりしだいに集めるものではなく、部分を究めて全体に至るものだ。重荷を君の力に合わせ、運びきれぬほどを背負うな。望むだけ飲むのではなく、抱えきれるだけを飲め。
セネカ · 書簡 CVIII.1 (ON THE APPROACHES TO PHILOSOPHY T h)
人はよい宿に入り、それが気に入って、そこにとどまろうと決める。お前は目的を忘れたのだ。この宿へ旅していたのではない。通り過ぎる途中だったのだ。
エピクテトス · 語録 31.4
何であれ美しきものは、それ自体で美しく、それ自体で完結する。称賛はその一部ではない。ものは称賛されることで悪くも善くもならぬ。
マルクス・アウレリウス · 自省録 IV.20
まずおのれの目で、何が真に必要で何が余分かを、はっきりと見ることを学べ。必要なものはどこへ行ってもおまえを迎えるが、余分なものは常に探し求めねばならず、それも多大な労苦を払って。
セネカ · 書簡 CX.1 (ON TRUE AND FALSE RICHES F rom my v)
我らに課されたもの。欲求と忌避を、束縛から自由に生きること。求めるものに失望せず、避けるものに陥らぬこと。あらゆる鍛錬は、これに向かうのである。
エピクテトス · 語録 40.1
己の魂のうちにまさって、静かで、わずらいから自由に退ける場所はどこにもない。とりわけ、見つめればただちに安らぎをもたらす思いを内に抱くときには。
マルクス・アウレリウス · 自省録 IV.3
贅沢が彼の胃を悪くしただけのこと。じきにまた和解するだろう。彼は昔の暮らしに飽きたと言う。だが、飽きていない者があろうか。われらは悪徳を、同じ時に渇望し、また蔑んでいる。
セネカ · 書簡 CXII.1 (ON REFORMING HARDENED SINNERS I am )
私はオリンピアで勝ちたい。私もだ。だが先に来るものと、後に続くものを考えよ。そのうえで、それがお前の益になるなら、引き受けよ。さもなくば、恥のうちに投げ出すことになる。
エピクテトス · 語録 42.4
神々に力があるなら、なぜ祈らぬのか。恐れるものを恐れぬ力、欲するものを欲さぬ力を与えてくれと。ものごとが起こるか起こらぬかを祈るのではなく。
マルクス・アウレリウス · 自省録 IX.40
節度を保つには、この世の生は短くはかないと、たえず思い返すことに勝る助けはない。何をしていようとも、死の思いを目の前に置いておけ。
セネカ · 書簡 CXIV.1 (ON STYLE AS A MIRROR OF CHARACTER Y)
善き者は見かけのために何もせず、正しく行うために行う。それが彼に何の益か。名を正しく書くのと同じ益だ。益は、それを書いたということにある。
エピクテトス · 語録 46.3
正しい原理に従って行えなくとも、気落ちするな。しくじったなら、また立ち返るがよい。君のなすことの大半が君の自然にかなうなら、それで満ち足り、立ち返るその場所を愛するがよい。
マルクス・アウレリウス · 自省録 V.9
自然はただ渇きが癒されることを求めるのみ。黄金の杯であろうと、水晶の杯、土の器、うつろな手のひらであろうと、自然には何の関わりもない。常に終わりを見よ。さすれば余分なものを手放すだろう。
セネカ · 書簡 CXIX.1 (ON NATURE AS OUR BEST PROVIDER W he)
では報いはないのか。善き者に、善く正しく行うこと以上の報いを求めるのか。オリュンピアでは冠で足りるとされる。善くあることが、それほど小さく思えるのか。
エピクテトス · 語録 46.3
肉を前にしたなら、こう受けとめよ。これは死んだ魚、これは死んだ豚であると。あの紫の衣は、貝の血で染めた羊の毛だ。そうした受けとめは、物そのものへと貫き入っていく。
マルクス・アウレリウス · 自省録 VI.13
書籍
『366のストア派の朝』と「90日」シリーズ — 毎朝ひとつの言葉を、Kindle と Google Play ブックスで。
書籍を見る →